ドイツ国章

国章とは、国家を象徴する紋章や徽章。その国の風土、歴史、文化などが象徴的に表現され、その国を理解する上で国旗よりも多くの情報を読み取ることができる。

国章の推移
鷲は大型の鳥類として食物連鎖の頂点を示し、ヨーロッパでは古来より勇猛果敢さと力、無敵の象徴とされ、多くの権力者に好まれてきた。
その意匠は、すでに8世紀半ばのカール大帝の頃から用いられ、13世紀初頭には「金地に黒鷲」の紋章が神聖ローマ帝国皇帝の紋章とされるようになった。
1433年 「双頭の鷲」の紋章が神聖ローマ帝国の紋章と定められ、15世紀半ばには、歴代皇帝の紋章に鷲が用いられるようになった。その後、双頭の鷲の紋章は、オーストリアの王家であるハプスブルク家の紋章に引き継がれる。
1848年 フランクフルト国民議会は、皇帝のシンボル(剣、宝珠、笏、王冠)を除いた「双頭の鷲」を引き続き新しい国章として用いることを決議。
1867年 プロイセン王国の下に北ドイツ連邦が成立した際には、新しい紋章が採用されたが、そこにも鷲が用いられている。
1871年 ドイツ統一が成ってドイツ国(ドイツ帝国)となった際には、プロイセン王国の紋章が国章とされた。プロイセン王国の国旗の中央には、国章である四つの皇帝のシンボルを付けた鷲が描かれている。
※鷲のモチーフは、この後、1918年にヴァイマル共和政(ワイマール共和国)となった際にも、また、1933年にナチス・ドイツとなった際にも国章に維持された。ワイマール共和国の国章は、4つの皇帝のシンボルを外した鷲(ワイマール鷲)である。また、1935年にワイマール鷲に替わって採用された国章は、ナチスのシンボルである鉤十字の上に鷲をあしらったものである。
1950年 ドイツ連邦共和国の成立に当たり、ワイマール鷲をモデルとしつつもデザインを簡略化した新しい国章を定め、このときから「連邦鷲」(Bundesadler)と呼ばれるようになった。現在の国章はこの時に採用されたもの。

※同年に成立した東ドイツでも新しい国章を定めたが、鷲は用いられず、当初は労働者を象徴するハンマーをモチーフにした簡素な国章とした。後の1953年になって知識人を意味するディバイダを加えた上で農民を象徴する麦で囲むという他の社会主義国の「鎌と槌」に近いモチーフが使われるようになり、さらに1955年には地色を赤に変えてソビエト連邦の国章に似たデザインとなったが、1990年のドイツ再統一によってその役割を終えている。

2011/12/22