シリーズ企画「ドイツサッカー論」
【第一回目「ドイツサッカーのプライド」】

 

ドイツサッカーとブンデスリーガの魅力、さらにはブンデスリーガで活躍する日本人選手について、

サッカー解説者が独自の視点で語るシリーズ企画「ドイツサッカー論」。


第1回目を飾るのは、元日本代表DFの宮澤ミシェル氏だ。

ドイツサッカーとの出会いは、まだサッカー少年だった1970年代までさかのぼる。

若き日のミシェル氏にとって、ドイツは“天敵”だったと言う。

 

その理由とは……。

 




「僕らぐらいの年代だと、海外サッカーとの接点は『ダイヤモンドサッカー』(※1)しかなかったんだよね。

 イングランドリーグとブンデスリーガが取り上げられていて、毎週の放送が楽しみだったなあ。
 鮮烈な記憶として残っているのは、1974年の西ドイツ・ワールドカップだね。

 スタジアムを俯瞰でとらえる映像を観て、こんなにたくさんお客さんが入っているのかと、

 びっくりしたことを覚えている。当時の日本とは、あまりにもかけ離れている世界だったからね。
 フランス人の父親は、サッカーでもフランスを応援する。

 天敵はどこか。

 ドイツなんだ(笑)。ドイツ戦を前にすると、親父がいつも言う。
「どうせまた、鶏の尻尾の毛がなくなるんだ」
 フランスのエンブレムは雄の鶏なんだけど、

 怖じ気づいて毛がなくなってしまうと言いたかったんだろうね。


 1982年のスペイン・ワールドカップ準決勝は、まさにそうだった! 

 1-1で延長戦に突入して、フランスが3-1とリードした。

 それなのに、カール=ハインツ・ルムメニゲとクラウス・フィッシャーにゴールを奪われて、

 ドイツ(旧西ドイツ)にPK戦で負けてしまった。
 ミシェル・プラティニ率いるフランスは、ホントに素晴らしいサッカーをしていたのに、

 ドイツの厳格さと勝負強さにやられてしまった。

 だから僕は、ドイツが嫌いで……っていうのは冗談だけど(笑)。」

 

 日本サッカーがアマチュアからプロへ以降するタイミングで、

宮澤氏はジェフ市原へ移籍する。

シーズン開幕をまえにチームはドイツへ遠征し、ブレーメンなど国内数都市を転戦した。

 

「3週間ぐらい、ドイツに滞在したかな。

 奥寺康彦さんがGMをやっていた関係で、ブレーメンではかなり歓待されてね。

 ヨーロッパには何度か行ったことがあったけど、これだけまとまった時間を過ごしたのは初めてだった。
 日曜日に街へ出かけると、デパートとかスーパーが閉まっている。

 (ドイツでは閉店法という法律で日曜日はお店を閉めることになっている)

 日本人の感覚だと、買い物をする日でしょう? 

 どうしてお店を開けないのかと思っていたら、

 スタジアムへ向かって歩いていく人たちがたくさんいて。

 そうか、サッカーを観に行くからお店を開ける意味がないのか、と思った。

 これが文化としてのサッカーなんだなあ、と。


 サッカーにおいても、気づかされることがたくさんあったよ。

 まず感じたのは、肉体的なタフネスさ、それとインパクトの強さ。
 インパクトの強さというのは、ボールに対してガチッ、パシッといくこと。

 衝撃音がホントに聞こえるんだからすごい。

 ドイツ人選手は、全員がそう。

 フィジカルコンタクトが強くて、激しい。タックルが深い。

 深いから、こちらの懐まで入り込まれちゃう。

 ドイツ人選手の感覚に多少なりとも慣れるまで、3試合はかかったなあ。
 僕はセンターバックやボランチをやっていたから、空中戦とか1対1とか、守りの局面で相手とコンタクトする。

 試合が始まったばかりは、まだ大丈夫なんだ。自分の態勢が良ければ、空中戦で競り勝つこともできる。


 ところが、競り合いを繰り返していくうちに、相手の強さと激しさがダメージとなって蓄積されていくんだ。

 ボクシングでジャブを浴びるような状況になる。

 競り合いの強さが少しずつ失われて、ジャンプの高さがなくなったりして。

 ドイツ人選手は涼しい顔をしているけれど、こちらはもうギリギリ。

 身体が悲鳴をあげている。
 それに加えて、当時の僕らはポゼッションができなかった。

 数的不利の状況で守ることが多くて、ディフェンスを剥がされちゃう。

 練習試合はだいたいいつも、そういうパターンだったね。
 練習試合でジェフが先制したことがあったんだけど、リードしたのはほんの一瞬だった。

 相手の目の色が変わって。

 立て続けに3点ブチ込まれた。本気の強さを垣間見た瞬間だったなあ」

 

 Jリーグ開幕とともに、ジェフ市原にピエール・リトバルスキーがやってきた。

旧西ドイツ代表として82年、86年、90年と3度のワールドカップに出場したスーパースターである。

同年途中からは、ストライカーのフランク・オルデネビッツも加わった。
ともに国際舞台で活躍した“リティ”と“オッツェ”は、ジェフ市原に何をもたらしたのか。

自らの肌で感じたドイツサッカーを、宮澤氏が振り返る。

 

 

「ドイツサッカーを評するものとして、日本では“ゲルマン魂”という言葉が良く使われていた。

 最後まで勝負を諦めないメンタリティを指しているんだろうけど、僕が感じたのは“プライド”かな。

 印象深いエピソードは、たくさんありますよ。 

 リティは練習で決して手を抜かない。

 選手側からすれば、ちょっと文句をこぼしたくなるような練習ってあるじゃない?

 リティにも話したことがあるんだ。

 「オレが監督やコーチに何か文句を言ってもダメだから、お前が言ってくれよ」って。

 そしたら、「文句を言う前に、とりあえずやれ」と。

 彼も不満そうな顔を見せることはあったけど、与えられるメニューは絶対にやるんだ。
 スパイクへのこだわりも凄くてね。

 契約しているメーカーから、なかなか望みのモノが来なかったことがあった。

 そうしたら、ハーフタイムにゴミ箱に捨てちゃうの。

 「どうするんだ? 後半のオレは裸足でやらなきゃいけないのか?」って、メーカーの人を怒鳴りつけたんだよ。

 そうかと思えば、自分がFKを決めて勝った試合後、ヒーローインタビューでスパイクを脱いでいる。

 テレビカメラに映り込むように、両手にスパイクを持ってインタビューに答えている。

 陸上のウサイン・ボルトみたい。

 プロフェッショナルとしての振る舞いだよねえ。


 サポーターとの接し方もプロだった。

 たとえば、雨のなかで練習をしたあとって、風邪を引いたら困るからすぐにロッカーへ帰るでしょう?

 スタッフもそうやって選手に言う。リティは違ったんですよ。

 スタッフに「タオルを持ってきて」と言って、それを首に巻いてずっとサインをしていた。
 そのうちに「カードはないのか?」ってことになって、

 ドイツから持ってきた自分のカードにサインをして配るようになった。

 せっかく練習場に来てもらったファンを、手ぶらで返すわけにはいかないだろ、

 というのが彼のスタンスだったんだ。


 マスコミに対してもそう。「取材に来た人には、何か持ち帰ってもらえ」って、

 良く話してたなあ。勝っているときはいいけれど、負けたときこそ話題を提供しなきゃダメだってね。

 たとえば、誕生日の選手がいたら、練習前に円陣を組んだときに発表する。

 拍手が沸いたりするから、外から見ていると「何だろう?」って思うでしょう。
 取材に来たマスコミの人も、とりあえずひとつネタをつかめるわけだよね。

 ウチの子どもの誕生日も、みんなにグラウンドで祝ってもらったから(笑)。
 オッツェはね、痛みに強かった。

 その捻挫でできるの? っていう状態でも、痛み止めを飲んでピッチに立つ。

 できるところまでやるというのが、彼らのプライドだったのかなと思う。
 彼らと出会った当時、僕はもう30歳だったんだけれど、学ぶことはホントに多かったよね。

 ジェフというチームにも、ホントにたくさんのものを落としこんでくれた。
 ゲームでも頼りになった。

 ここ最近の外国人選手とは質が違う。恐ろしいぐらいだった。

 ただし、70分まで。そこはベテランだからね(笑)。」

 


(以下、第2回目へ続く)


[ミシェル氏注目選手①]アルネ・フリードリヒ

「僕が最初に憧れた選手は、旧西ドイツ代表のベッケンバウアー。
  90年のイタリア・ワールドカップの優勝メンバーだった、クラウス・アウゲンターラー
 にもひかれたなあ。  ゴツゴツとした守備専門のセンターバックではなく、
 リベロとしても機能できるタイプが好みなんだ。
 フリードリヒは目の前で起こったことに対処するのではなく、先を読んでプレーしている。
 戦術眼に優れていて、カバーリングにも長けている。
 自分自身のプレースタイルと重なるところがあるので、親近感を抱く存在ですね」

 

※フリードリヒは2011年9月に、自らのケガを理由にヴォルフスブルクとの契約を解除。現在は所属先がない。


(※1)1968年から96年9月(途中中断もあり)まで、テレビ東京系列で放映されたサッカー番組。


宮澤ミシェル氏プロフィール

1963年7月14日、千葉県生まれ。

国士館大学卒業後の1986年、フジタ工業サッカー部(現湘南ベルマーレ)に加入。

日本サッカーリーグで131試合に出場する。92年に市原(現ジェフ千葉)へ移籍し、J1リーグ通算58試合出場2得点。クレバーなディフェンスと正確なフィードを持ち味に、センターバックやボランチとして活躍する。

94年に日本代表に選出された。95年の引退後はサッカー解説者として活躍。


2012/01/29
スポーツライター戸塚啓