2016/09/06

奇跡の昇格を支えたファンの名前がスタジアム名に

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今シーズン最初のホーム戦、フランクフルトとの熱いヘッセンダービー。ダルムシュタットにとってこの試合が意味するのはそれだけではない。『ヨナタン・ハイメス・シュタディオン・アム・ベレンファルトア』というスタジアム名としての、最初の試合でもあるのだ。

2016年3月9日。この日SVダルムシュタットは、大きな悲しみに包まれた。12年間に及ぶ闘病生活の末、26歳のヨナタン・ハイメス(ニックネーム:ジョニー)がこの世を去ったのである。ダーク・シュスター監督は「ジョニーはこれからも、我々にとって大切な存在であり続ける」と言葉を贈った。

14歳のときに腫瘍が判明し、それから病気との戦いを続けてきたダルムシュタットファンのジョニーは、闘病生活を続けながらも同じくガンと戦う子供達を勇気付けてまわり、「”DUMUSSTKÄMPFEN”(訳:戦え!まだ負けていない)」と書かれたリストバンドを作成。その売り上げ15万ユーロは全て治療をサポートする団体へと寄付されている。このことは地元SVダルムシュタット98にも伝わり、選手たちはそのリストバンドを身につけプレー。

当時のダルムシュタットは、4部5部を行き来していたクラブで、ようやく3部昇格を果たすも前年度18位と下馬評は低かったのだが、しかしこのリストバンドを付けて臨んだ選手たちはこれを覆して3位でフィニッシュ。20年ぶりとなる2部昇格をかけ、ビーレフェルトとの入れ替え戦へとコマを進めてみせた。

だがホームで迎えた初戦、ダルムシュタットはアウェイゴール3点を許して完敗(1-3)。いきなり困難を極める状況へと陥ってしまう。そんなビーレフェルトでの最終決戦を前に、シュスター監督は選手たちに対して、「心に弱さが生まれたとき、そのリストバンドに書かれている言葉を見ろ。ジョニーは闘病生活の中でこれをやっている。我々だって、サッカーで同じことをやってみせるんだ」と檄を飛ばす。

そして奮起したダルムシュタットは、3-1と盛り返す執念をみせ、試合は延長戦へ。だが延長110分、ホームのビーレフェルトが得点し、もはや万事休すかと思われた。しかしロスタイム2分に、ダ・コスタが左足でゴールを決めて、遂にこのシリーズではじめて、ダルムシュタットがリード。最後のピンチもポストに救われ見事2部昇格を果たしている。

だがダルムシュタットの軌跡はこれだけにとどまらない。勢いにのって臨んだ昇格初年度で、およそ40年ぶりとなるブンデス1部昇格をいきなり達成。ブンデスへの階段を一気に駆け上がり、さらに昨シーズンはもっとも小さなクラブでありながら見事1部残留も果たした。

しかしその姿を、ハイメスはその目で見届けることはできなかった。2016年3月9日、ヨナタン・ハイメスの12年に及ぶ戦いは幕を閉じた。

父のアイデアをメルク社が採用

ハイメスがこの世を去って以来、初めて迎えるホーム開幕戦。しかしハイメスの名前はスタジアムへと刻まれる。ハイメスの父マルティンさんのアイデアを、スタジアム命名権を持つメルク社が採用。今シーズンは『メルク・シュタディオン』ではなく、『ヨナタン・ハイメス・シュタディオン』として、ダルムシュタットは戦っていくこととなったのだ。

マルティンさんは「メルク社からの素晴らしい対応に本当に感謝しています。ヨナタンが愛したこのクラブがプレーする、このスタジアムに息子の名前が付けられるのですから」とコメント。選手も歓迎の意を表しており、キャプテンのアイタッチ・スルはこの「ヨナタンの家」であるスタジアムで、「さらにモチベーションが高まるね。再びブンデス残留を達成したい。彼の名前は、僕たちをさらに後押ししてくれるものだよ」と述べた。

さらにユニフォーム・スポンサーのソフトウェアAGも、ハイメスの命日の3月の試合で、”DUMUSSTKÄMPFEN”の文字を、ユニフォームのロゴとして採用している。

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