2024/04/18

キッカー番記者が長谷部誠に熱いメッセージ:卓越した選手であり人間。それがHASEBE

©️IMAGO/Schüler

 2024年4月17日の水曜日の午後、長谷部誠は今シーズンをもって、現役生活にピリオドを打つことを発表した。クラブ史上初となる40代でのブンデスリーガでのフィールドプレーヤーとして出場し、傑出したアスリートであり、非常に印象深い人間性をもったフランクフルトが誇るレジェンドに、長年アイントラハトの番記者を務めてきたユリアン・フランツケ氏が贈る、渾身の『賛辞』である。
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 人類による永遠の若さへの探究心、それは若返りの泉の物語が古くはアレクサンダー大王から始まり、大航海時代においてはスペインの征服者フアン・ポンセ・デ・レオンが永遠の若さを求めてフロリダを何か月も歩き回ったという言い伝えまであるほどの、まさに夢物語である。だがもしかすると、長谷部誠はその秘密を知っているのではないだろうか・・・?

長年に渡り衰え知らずのパフォーマンスをみせてきた、決して体格的に特別に恵まれていたわけでもなかった日本人選手は、多くの選手がサッカーを辞める35歳となってキャリア絶頂期を果たす。ニコ・コヴァチ監督が3人のバックラインの中心に配置したことによって、現代版リベロとしてのブレイクを果たすのである。

 スピードの不足は、その優れたポジショニングと、卓越した先見性によってカバー。またビルドアップにおいてはその視野の広さと、正確なパスによって見る者に感銘を与えており、2018年12月のキッカー編集部によるポジション別ランキングでは、センターバック部門にて堂々の1位へと選出。さらにアジア年間国際最優秀選手にも選出された。

 当時監督を務めていたアディ・ヒュッター氏は、長谷部誠について「誠はワインのようなものだろう。月日を重ねるごとに、彼のプレーはより味わい深くなっていく。このチームにおいて、彼はまさにキープレーヤーだ」と惜しみない賛辞を贈り、またフレディ・ボビッチ競技取締役も「チーフ」であり「模範的なプロ」として絶賛している。

 では改めて、その若さを保つ秘訣とは何なのか?2017年にキッカーとのインタビューの中で、長谷部は「これまで15年間、冷温水を用いることなど、体へのケアに関しては、自宅などでもこれまで以上に行うようになりました」と説明した。日々の弛まぬトリートメント、バスソルト、ストレッチやエクササイズをこなし、またファストフードではなく妻が用意しくれる、体に良い和食を中心にした魚や野菜、米が食卓に並べられてきた。

©️kicker

老いて益々壮:卓越した柔軟性、タイトルコレクター

 その長いキャリアの間で長谷部誠は、ほぼ全てのポジションでプレーしてきた。浦和レッズ時代ではキャリア序盤、ギド・ブッフヴァルト監督の下で主に攻撃的なMFとしてプレーしており、渡独以降はボランチ、CMF、あるいはサイドバックなどの役割に転向。「フォワード以外のポジションではどこでもプレーしてきましたね。ゴールキーパーさえ務めましたよ」と、以前に長谷部は笑顔を見せつつ語った。「自分の強みは柔軟性にあると思っています」

 クラブシーンとして著名なビッグクラブに在籍することは1度もなかったが、それでもその功績を陳列する棚の大きさは、並大抵のものではとても追いつかない。浦和レッズ時代にはリーグ優勝、アジアチャンピオンズリーグ、リーグカップ、スーパーカップなどを果たし、ドイツに渡った2009年にはヴォルフスブルクでブンデスリーガ制覇を経験。2011年には日本代表主将としてアジア杯で優勝し、さらにフランクフルトでは2018年にドイツ杯、そして4年後にはヨーロッパリーグ優勝を主力選手として果たしている。

 まさにキャリアのハイライトとなったその大会で長谷部は、決勝戦で1時間以上にわたってチームを牽引し続けてみせただけでなく、なんといってもトッテナム戦でみせたハリー・ケイン封じは圧巻の一言。「信じられないほど多くの経験、そして美しい瞬間を目にすることができました」と振り返った長谷部だったが、同時に「ただニュルンベルクにおける2部降格や、重傷を負ったことなど苦しい時間も味わいましたけどね」とも付け加えた。

 そしてここのところは長谷部の”若さの泉”からの恩恵に翳りが見え始めており、確かに選手としての実力と模範的な姿勢からチームにとって重要な存在であることに変わりはなかったが、それでも出場機会は目に見えて減少。とりわけこの夏から就任したディノ・トップメラー監督から、あまり起用してもらえなかったことが、最終的に今シーズン限りでの現役引退への決意を後押しする格好に。

 「いつか、この瞬間は必ずくる。ここ数年、僕はずっとそういう気持ちを持っていました。そして今、僕はその時がきたと思うのです」と長谷部。だがフランクフルトが選手として失うそのクオリティは、これまでブンデス3クラブで合計476試合に出場してきた圧倒的な経験値をもつ、並外れた選手としての存在感だけでなく、その卓越した人間性にもあるだろうが・・・。

©️kicker

愛される長谷部、社会貢献への意識

 この日の会見に訪れていた日本人ジャーナリストの中には、涙を流す人さえも見受けられた。そんな日本を思い、マルクス・クレーシェ競技取締役はシーズン終了後、長谷部誠とともに日本へと向かい、改めてそこで引退会見を行う予定だという。国民的スターの1人である長谷部は、日本では街を単純に歩けないほどの人気を誇り、日本での会見ではすでに100人以上にも及ぶ希望者が。

 その一方で長谷部自身は常に謙虚で礼儀正しさを忘れない、二児の父親でもある。時に遊ぶときには熱くなってしまうお茶目な一面もある、多くの人々にとって鑑といえる人間だ。2011年に出版した彼の著書『心を整える』は、彼が生活の中で守る56の習慣とルールが書き留められており、累計150万部を誇る大ベストセラーに。しかもその収益を福島原発事故後の地域復興のために寄付している。

 社会貢献への意識は若手選手時代から始まっており、21歳の頃から慈善団体ユニセフへの寄付を続け、長年アンバサダーも務め、これまでにも現地をたびたび訪問。2015年にはフランクフルトのクラブ誌で「世界には私たちの助けを必要としている子供たちがたくさんいます。私にはその助けとなれる機会があり、できる限りのことをしたい。これは私の義務だと考えています」 と説明。今回の引退会見でも「これからもユニセフの駐日大使を続けて、困難な状況にある子どもたちを支援していきたいと思っています」と、アジアやアフリカへの訪問などの考えも示した。

フランクフルトの地でドイツ第二章

 子供の頃は漫画キャプテン翼に好んで読んでいたが、その後はフリードリヒ・ニーチェ、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテらの作品に傾倒。チェックポイント・チャーリーを見て、アウシュヴィッツ記念館を訪れる長谷部にとっては、ファッションに高額を注ぎ込むようなサッカー選手にありがちの迷いは、もはや遠いものでしかない。2016年にブンデスリーガ・マガジンで明かしたところでは、浦和レッズでの活躍まもなく、何気なく茶髪に染め高校時代の恩師の服部先生との再会で、彼の教えに反した気まずさを感じた長谷部は、すぐに美容室に行って元の自分に戻したという。「身近な人たちの想いを大切に」それがまだ若き頃の長谷部の誓いだ。

 そのような『長谷部誠』という人材を将来、ユース選手たちに受け継ぐ機会を手にできることは、アイントラハト・フランクフルトにとっての幸運であることは間違いない。すでにB-Plusライセンスを取得しており、さらにその上も目指していく予定。2008年に渡独して以来、いまや長谷部にとってドイツは「僕や家族が長く滞在する事を想像できる、第二の故郷」になった。これまではプロサッカー選手として生きてきたドイツで、長谷部誠はドイツ第2章をこの夏から描いていく。

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